人として正しいか正しくないか、自然か不自然か

オウム真理教・・・麻原彰晃死刑囚と元幹部の計7人の刑を執行

私たちは29名の罪のない方々の尊い命が奪われたことを忘れてはなりません

法務省は7月6日に地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の麻原彰晃死刑囚と元幹部の計7人の刑を執行しました。

オウム真理教が起こした一連の事件では29人という尊い命が奪われています。

負傷者は6000人を超えています。

犠牲になられた方々には謹んで哀悼の意を表します。

ご遺族のみなさまは未だ心の傷を深く負われています。

負傷された方は未だに後遺症に苦しまれている方もいるとうかがっております。

どうか少しでも癒やされて欲しいと願うばかりです。

私たちは二度とこのようなことを繰り返してはいけません。

私はこの日を忘れてはならないと思います。

以下、日本経済新聞の記事を引用いたします。

法務省は6日、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃、63)=東京拘置所=と元幹部の計7人の刑を執行した。

一連のオウム事件では松本死刑囚のほか、元幹部12人の死刑が確定しているが、執行は初めて。

法務省によると、松本死刑囚のほかに死刑執行したのはいずれも元幹部の早川紀代秀(68)、中川智正(55)、井上嘉浩(48)、新実智光(54)、遠藤誠一(58)、土谷正実(53)の各死刑囚。

確定判決によると、松本死刑囚は、89年の坂本堤弁護士一家殺害事件や脱会信者殺害事件で、被害者らが自分に敵対したり離反したりしたとの理由で、「ポア」という言葉を使い殺害を指示。94年の松本サリン事件では、サリンの殺傷力や噴霧装置の性能を確かめるため「実際に効くかどうかやってみろ」とサリンの噴霧を命じた。

95年3月の地下鉄サリン事件では、同年1月に発生した阪神大震災に匹敵する大惨事を起こせば、間近に迫った警視庁の強制捜査を阻止できると考え、東京の地下鉄車内にサリンをまくよう指示し、13人が死亡、6000人以上が負傷した。

一審・東京地裁判決は松本死刑囚を「救済の名の下に日本を支配し、その王になろうと各犯行を敢行した首謀者」と位置付け、殺人や死体損壊、武器等製造法違反などの罪で、13事件すべてを有罪と認定。死刑を言い渡した。

控訴審で弁護側は「松本死刑囚は心神喪失状態で訴訟能力がない」と主張、期限までに控訴趣意書を提出しなかった。これに対し、東京高裁は「訴訟能力に疑いはない」として控訴棄却を決定。最高裁は2006年、弁護側の特別抗告を棄却し、死刑が確定した。

松本死刑囚は08年11月、東京地裁に再審請求。10年9月に最高裁が特別抗告を棄却し、再審を認めない決定が確定した。その後も複数回再審を請求し、現在も請求中だった。

かつて再審請求中の死刑囚への執行は避けられる傾向があったが、法務省は昨年相次ぎ執行。再審請求が執行時期に与える影響は小さいとみられていた。

松本死刑囚は東京拘置所に収監されていた。関係者によると、17年5月の同拘置所の報告では、松本死刑囚は「明らかな精神障害は生じておらず、面会はかたくなに拒否するが運動や入浴の際に促すと居室から出てきている」という状況だった。

事件から23年。日本の犯罪史上最悪のテロ事件の首謀者は、事件の真相を語ることのないまま極刑に処された。松本死刑囚の神格化につながり、教団関係者による報復も懸念されることから、公安当局は監視を強化するとみられる(日本経済新聞 2018年7月6日)。

様々な論調を見ますが、まずは犠牲になられた方々とその家族のことを考えるべきではないでしょうか

繰り返しますが、私たちは多数の方が犠牲になったことを決して忘れてはならないと思います。

何の罪のない方がある日突然命を奪われてしまったのです。

その方の幸せな日常を、そして明るい将来を奪ってしまったのです。

本人も残されたご家族もその苦しみは想像を絶します。

私はこの気持ちを考える事こそが物事の本質に近づくのではないかと思っています。

当事者でないからこそ当事者になった気持ちで考えるべきなのです。

この怒りを、悔しさを、一緒になって考える事です。

今回の死刑執行について各メディアから様々な意見が出ています。

「なるほど、いろんな意見や論調があるのだな」と思います。

しかし、中にはご遺族の気持ちを無視したかのような論調もあります。

被害者ではなく、加害者側の視点でしか物事を見ていないかのような論調もあります。

私はいつも以下のように思います。

あなたはそれと同じことを犠牲になった方のご家族の前で言えるのでしょうか?

言い換えれば、もしそのライターさんの身内が巻き込まれていたとしても同じことが言えるのかがポイントだと思います。

もし言うことにためらうのならば、言うべきではないと思います。

なぜなら、人として間違っているからです。

正しくないからです。

どうしても言いたければ、このような理由をしっかりと明記するべきだと思います。

私たちが被害の当事者にならなかったことはたまたま幸運だったからです。だからこそ当事者意識を持って事件の本質を考えることが重要なのでは?

私たちは二度とこのようなことがないようにしなければなりません。

しかし、どうすれば再発が防げるかは明確になっておりません。

これも様々な論調が繰り返されています。

私ははっきり申し上げたいと思います。

そのために必要なことは、私たちが当事者意識を持つことだと思います。

言い換えれば、犠牲になった方々とそのご家族への当事者意識が足りないために本質から外れてしまうのではないでしょうか?

その苦しみや怒りが想像以上だからこそ、再発防止を真剣に考えるべきだと思います。

それがわからないからこそ、加害者側の視点でしか物事が見られなくなってしまうのではないかと思います。

痛みや苦しみを少しでもわかってあげられれば違う論調になるでしょう。

だから、私たちはたまたま幸運なことに身内が巻き込まれていなかったことを受け止めるべきです。

敢えて申し上げますが、人ごと感あふれる論調や行動になってしまってはいけないのです。

もし身内が巻き込まれていたら、きっと違った行動をするはずなのです。

私が大切な人が巻き込まれたら絶対に許さないし、徹底的に凶弾することでしょう。

私は被害者側がこれ以上の我慢や忍耐を強いる方が間違っていると思います。

そうは思いませんか?

だからこの事件はまだ終わっていませんし、終わらせてはいけないのです。

若い優秀な才能を世のため人のために使うことができたらと思うとやるせなくなります

オウム事件の加害者である信者は優秀かつ真面目であり、任務に対して実に忠実です。

入信の動機はとても純粋なものだったと思います。

なぜその力を、その想いを、「正しいこと」に使えなかったかと思うと、とてもやるせなくなります。

敢えて言うならば、彼らこそ「人として本当に大切なもの」に目覚めて欲しかったと思います。

おかしいぞと思うようなこともあったとしても、それは信仰心が足りないからという麻原からの強い指示もあったことでしょう。

善悪を超越して行動させてしまうところにマインドコントロールの怖さがあります。

だから、「自分で考えられる人」となることが重要なのです。

その考えの源となるのは、「人として正しいか、正しくないか。自然か、不自然か」で判断することではないかと痛感します。

これが人として本当に大切なものなのではないかと思います。

どんな人も自分の判断が絶対に正しいとは言いきれないからこそ、この判断こそが原理原則だと思います。

オウム真理教と加害者である信者は何の関係もなく何の罪もない人々の命を奪ってしまった時点で、正しくありません。

どんなに自分の行動や教えを正当化しようとしても許されることではないのです。

自分のしてしまったことを反省し被害者家族に謝罪することがせめてもの報いですが、残念ながらそうした行動が見られることは滅多にありません。

これまでの凶悪犯罪もそうです。

ここに私たち人間が克服しなければならない部分があると思います。

そして加害者にも家族がいます。

被害者家族に誠意を持って謝罪することが被害者家族だけでなく加害者家族への償いにもなるのです。

自分が絶対に正しいと思い込むことで思考停止してしまう・・・安らぎのために自分と異なる価値観も尊重するべき

これは宗教に限ったことではありませんが、自分が絶対に正しいと思い込むことは大変危険です。

それは仕事をする上でも人間関係を構築する上でも肝に銘じなければなりません。

それは人への歩み寄りがなくなってしまうからです。

だから、謝罪の言葉も感謝の気持ちもないのだと思います。

私はこれらの行動にこそ人が気付いて突破しなければならないことだと思っています。

そもそも宗教だけではなく、私たちの誰もが世の中の平和ややすらぎを求めております。

しかし、目の前の人を尊重できなくて何が平和でしょうか。

困っている目の前の人を救えなくて何がやすらぎでしょうか。

なお、宗教とは大辞林によりますと以下のように記されています。

① 神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
② 経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。 〔「哲学字彙」(1881年)に英語 religion の訳語として載る〕

宗教は「安らぎを得ようとする心のはたらき」のためにあるのです。

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