哀悼さくらももこさん。静岡県民として心より感謝の気持ちを

  1. 人と会社・企業

8月15日に亡くなられていたそうです。あまりにも突然で気持ちの整理がつきません。

とても残念なニュースが入ってきました。

ちびまる子ちゃんの原作者、さくらももこさんがお亡くなりになったそうです。

心より哀悼の意を表します。

以下、日本経済新聞の記事を紹介いたします。

「ちびまる子ちゃん」で知られる漫画家のさくらももこさんが8月15日午後8時29分、乳がんのため死去した。53歳だった。本名は非公表。告別式は近親者で行った。所属事務所が27日に公式ブログで明らかにした。

静岡県清水市(現静岡市)出身。1984年にデビューし、86年から集英社の少女漫画誌「りぼん」で、自らの少女時代をモデルにした「ちびまる子ちゃん」の連載を始めた。

同作品は、小学3年生の主人公のまる子が、個性的な家族や友人と繰り広げるほのぼのとした日常生活がコメディータッチで描かれ、大人気を博した。単行本など関連書籍の発行部数は累計3200万部以上という。

90年から始まり、現在も続くテレビアニメは国民的アニメとなり、自ら作詞を手掛けた主題歌「おどるポンポコリン」もヒットした。フジテレビはアニメの制作は今後も続けるとしている。

エッセー集「もものかんづめ」や「さるのこしかけ」などもミリオンセラーに。2014年にデビュー30周年を迎えた際は「良い事も大変な事もいっぱいありましたが、作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています」などとコメントしていた(日本経済新聞 2018年8月28日)。

あまりにも早すぎます。

非常にやるせなくなります。

さくらももこさんの功績は計り知れないものがあります。

静岡県民として心よりお礼申し上げたいと思います。

サッカーの街清水にこれほど親しみやすい家族の物語があったとは

静岡県と清水市という名前がお茶の間に広がったのは、1990年にスタートしたちびまる子ちゃんのテレビアニメのおかげであるといっても過言ではありません。

まだJリーグがはじまる3年ほど前のことです。

すでに清水はサッカーの街という認識が全国的にもあったと思いますが、これほど親しみやすくクスッと笑える家族の物語が世の中に出てくるとは予想つきませんでした。

サザエさんとはまた違った魅力があったのです。

主人公のまる子がさくらももこさんそのものだったことが作品の魅力をより大きなものにしたと思います。

勉強も苦手で時には怠けたい気持ちに負けたり、わがままを言ったり、人間らしい等身大の姿が視聴者に魅力的に映ったのだと思います。

それまでのヒロイン像とは明らかに違うものがあったのです。

ちびまる子ちゃんは、そんな主人公と仲間達が繰り広げる、日常にありそうなお話がユニークな視点で変換されるような作品です。

学生服はやまだやまだー

ちびまる子ちゃんと私の家族が間接的に繋がっていたエピソードをひとつ紹介します。

原作で印象的だったシーンがあります。

それはまる子一家が見ていたテレビから『俺たちにゃ夢がある~♪』という声が流れていたシーンです。

当時、私は「プッ」と笑ってしまいました。

これは静岡県民ならば知らない人がいないと言われているCMです。

なんと、このCMは私の母の会社(現在はありません)で制作されたものだったのです。

静岡県では一定の時間(家族団らんの時間)になると、1度聞いたら耳にこびりついて離れない不思議なメロディと独特のナレーションのCMが連続で流れていたのです。

これによって多くの静岡県民にCMソングを覚えてもらえたと思います。

学生服のやまださんのCMの歌詞は次の通りです。

俺たちにゃ~明日がある~♪
俺たちにゃ~夢がある~♪
俺たちにゃ~掟があ~る~♪
学生服はやまだやまだ~♪

さくらももこさんもこのCMを見ながら育っていったんだと思うと感慨もひとしおです。

とてもうれしいです。

本当にありがとうございました。

花輪君のこだわりはどこまで

きっと登場人物の多くが中学生になったら『学生服のやまだ』さんで学生服を検討したことでしょう。

ところが、学生服のやまだのCMが唯一通用しないと思われる人が登場人物の中でいました。

花輪君です。

いつも人とは違う服を身につけている花輪君は中学生になったらどこのブランドの制服を着るでしょうか。

以前、泰明小学校のアルマーニ問題がありました。

この時に花輪君のことをふと思いついたのです。

私は日本一アルマーニが似合う小学生として勝手に花輪君をイメージしていました。

あのチョッキもあの半ズボンもきっとアルマーニ製ではないかと思うのです。

中学になってからもこだわりのある花輪君はきっと人とは違うことをしたでしょう。

もしかすると、生地だけは個人で輸入して、仕立てを『学生服のやまだ』さんに頼んでいたかもしれません。

さらに、今、花輪君はどこかの大会社の社長をやっていると思いたいです。

そんなファンタジーがパッと広がるほどちびまる子ちゃんは魅力あふれる作品なのです。

サッカー以外で清水の名をしらしめたのはちびまる子ちゃん

ちびまる子ちゃんはひとりのサッカー選手の少年時代も描いていました。

まる子の同級生のケンタくんは現FC東京の長谷川健太監督がモデルです。

サッカー王国静岡の中心は清水でした。

小学校3年生の少年がサッカーにストイックに練習に打ち込むシーンが描かれています。

全国的に見ると、多くの少年がソフトボールや野球をする中で、サッカーをする少年は珍しく映ったかもしれません。

しかし、静岡ではそのような少年があちらこちらにいたのです。

1980年代から90年代にかけて、清水東、清商、東海第一がしのぎを削っていたあの頃が静岡の高校サッカーのピークだったような気がします。

そこに静岡学園が絡み、非常に華やかでした。

静岡県大会で優勝するのは、全国高校選手権で優勝するよりも難しいと言われていた時代でした。

清水東高校の長谷川健太選手、大榎克己選手、堀池巧選手は清水三羽ガラスと呼ばれていました。

小学生の私にも強烈なインパクトを与えました。

その後の活躍はみなさんもご存じだと思います。

その先駆けとなる小学校時代の長谷川ケンタ少年をちびまる子ちゃんでは描かれていました。

これを見たサッカー少年はきっといい影響を受けたことでしょう。

なお、ちびまる子ちゃんがテレビで放映されたのは1990年です。

当時はJリーグも発足前(開幕は1993年5月15日)でしたから、清水エスパルスも世に出ていませんでした。

清水という地名をお茶の間に広げたのはちびまる子ちゃんなのです。

また、静岡に住む人がのんびりしているというイメージを加速させたのは、ちびまる子ちゃんがあったからかもしれません。

私はとてもいいイメージだと思います。

さくらももこさんから感じるのは静岡への愛です。私たちも素晴らしい静岡をずっと語り続けながらいい会社を増やしていきたいと思います

さくらももこさんからは作品を通じて静岡への愛情が強く感じられました。

先ほどの学生服のやまだのCMソングもそうですが、静岡県民でないとわからないような細かな描画を敢えてしているところに愛情を感じるのです。

私も静岡への郷土愛をさらに深め、少しでも故郷に貢献していきたいと思いました。

静岡は東京にも名古屋にも新幹線で1時間で行ける素晴らしい県です。

もし仮に新幹線の値段が今の1/3になったら、静岡に住みたい人は飛躍的に増えるのではないかと思います。

日本一の富士山、日本一のお茶、豊富な海産物に陸産物。

そして温暖な気候が自慢であり、余程のことがない限り雪が降らない住みやすい県です。

人が住みやすいことは間違いありませんが、もうひとつ大切な要素があります。

それは、人が働きやすい県にしていかなければならないということです。

そのためには、静岡に人を大切にするいい会社がより一層増えていくことが大事だと思います。

ぜひみなさんでより良い静岡をつくっていきましょう。

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