ワーク・ライフ・バランス 働き方改革

便利になった反面で失われてしまった「人が人らしく生きる」部分

私たちは便利になっているはずなのに何か大切なものを見失っているのかもしれません

私たちはとても便利な世の中で生きています。

テクノロジーの進化はまさに日進月歩であり、私たちのまわりには便利なモノがあふれています。

高品質で安価なモノもあふれています。

便利になりましたが、私たちは一体どれだけ幸せになったのでしょうか。

物理的に便利を享受していることは間違いありません。

しかし、その一方で何か大切なものを失ってしまったような気がしています。

私は携帯電話の便利機能のおかげで相手の方の電話番号を覚えなくて済むようになりました。

少なくともこの10年間において、新しい電話番号を自分で覚えることはなかったと思います。

その結果、どんなことが起きているのでしょうか?

昔よりも人の顔と名前を覚えるのが苦手になってきたような気がします。

一方で、昔、工夫して覚えた電話番号を今でも覚えているのはなぜでしょうか?

携帯電話の電波が繋がらないところで生きていけるか

自分がどれだけ携帯電話に依存しているか実感したのは数年前のゴールデンウイークのことです。

私は後輩達と久しぶりに南アルプスの奥へフライフィッシングにでかけていきました。

一泊二日の工程で、素晴らしい景色、素晴らしい魚、宿舎の美味しい料理を堪能いたしました。

携帯電話の電波が全く繋がらないところに来たのは、随分久しぶりのことになります。

日中はフィッシングに夢中でしたので実感がありませんでしたが、夜になるといつもと違う事態に「不安」を覚えました。

いつも見ているサイトやメールに繋がらないということが予想以上のストレスになったのです。

これは仕事に対してマイナスの気持ちではないことを申し上げておきます(ワーカーホリックであったり、仕事の面で困ったりするのとは違います。)。

電波が繋がらない環境自体に不安を覚えたのです。

次の日、素晴らしい山間地を後にして、携帯の電波が繋がるところに出てきました。

その時にとても安心しました。

仕事関係の留守電やメールが入っていましたがそのありがたさが実感できました。

いかに自分が携帯電話に依存しているか再確認できた1泊2日でした。

もし、携帯の電波が繋がらない生活を1週間続いたとしたら、私はどうなっていたでしょうか。

今の私は、むしろその経験が必要なのではないかと考えます。

携帯電話がなかった時代にもしっかりと約束は守られていた

携帯を使う時間がとても増えましたね。

待ち合わせ場所でも電車やバスの中でも携帯の画面を見ている人が多いです。

ふと最近気がつくことがあります。

それは、友人達と会うときに、時間や場所等を決める「約束」がアバウトになってきたような気がするのです(ビジネスではありません)。

メールによって何となくその日が明確になって、何となく時間がその日に決まるようなことが増えてきたような気がするのです。

携帯さえあれば、その時間あたりにその辺に行けば何とかなると思ってしまっているのかもしれません。

ぼんやりと決めた約束の時間が迫ってきて「今日どうする?」と電話することもあります。

それ自体、何か変ではないかと思うのです。

本来ならば、そうならないように確実に約束をしておくことが必要です。

携帯電話がなかった時代は「当たり前の事が当たり前にできた時代」

私自身の実感で恐縮ですが、私は携帯電話がなかった時代の方が約束を守るための知恵や工夫があったような気がします(ビジネス意外で)。

約束を破ってはいけないと真剣に考えたような気がします。

もしそうだとしたら、私は人として大切な部分が退化してしまっているのかもしれません。

これをビジネスに当てはめれば、携帯電話がなかった時代の信頼・信用はとても大きなものだったと思います。

社内に対しても、社外のお客様に対しても同様です。

それが便利になった分、約束事や約束を破ることが軽くなってしまったとしたら、それを検証する必要があります。

例えば、「今日会社を休みます」と社内の上司にメールやラインで伝えることを考えてみましょう。

賛否両論あると思います。

しかし、これがお客様に対する場合、メールで「今日は予定が入ってしまっていけません」と伝えることはできません。

まずは約束を破らないように努力をしますし、どうしても行けない場合は「電話」をします。

あくまでもメールは最終手段だと思うのです。

もし、いきなりメールで伝えることが許されてしまったらどうなってしまうでしょうか?

もしかするとドタキャンが増えてしまうかもしれません。

大切なお客様を失わせてしまうかもしれません。

私は便利になったことが果たして本当に私たちの生活を豊かにしているかどうかを確かめる必要があると思っています。

人として「当たり前の事が当たり前にできること」はどの時代でも求められることではないかと考えます。

私が失ってしまった能力。そして感性

私はパソコンを使っておりますから、漢字を書く機会が失われていきました。

その結果、簡単な漢字すら書けなくなって困ることが多々あります。

カーナビの発展により、道を覚えなくて済むようになりました。

その結果、私は人に待ち合わせ場所を教えたり、道順を伝えたりするのが下手になりました。

直接電話する機会が減り、メールですませることが増えてきました。

人の名前と顔と声が昔ほど覚えられなくなりました。

これらのことがもし大切な何かを失わせるのであるならば、それが何かを明確にする必要があると思うのです。

それは「感性」です。

感性とはデジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」
2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。

そして、この感性が失われないよう日々鍛錬する必要があると考えます。

鍛錬と書きましたが、それは本来「人が人らしく生きること」なのかもしれません。

これをビジネスに当てはめます。

物事を心に深く感じ取る働きがなければ、お客様により質の高い商品・サービスを提供することは困難でしょう。

困っている人への気付きです。

人への関心です。

「無関心」はいちばんいけません。

そういった感性は、日頃から鍛えていなければならないのです。

もし、便利になった反動でそれらが失われているとしたら、立ち止まって考えるべきだと思うのです。

私は中小企業が生き残る道はそこにあると思っています。

素晴らしいiPhoneが教えてくれるものは

先日、iPhoneの最新機種が登場しました。

私は随分長い間iPhone5sを使用しておりましたので、そろそろバッテリーが寿命を迎えているようでした。

ポイントが相当貯まっていたこともあり、思い切ってiPhoneXS Maxに交換いたしました。

充実した素晴らしい機能にワクワクいたします。

画面はきれいであり、バッテリーの持ちも申し分ありません。

特にカメラの性能には驚きました。

これで現場にデジタルカメラ(一眼レフのタイプを除く)を携帯する必要はなくなるでしょう。

iPhoneの中では小さい部類の5sからの乗り換えですが、それほど大きさは気になりません。

バックアップをiCloudに取ってあったので、データの載せ替えも容易でした。

しかし、その素晴らしさとは反対の話をいたします。

私はこのiPhoneの性能をどれだけ引き出すことができるか考えました。

ディスクトップに並ぶ何十個というアイコンの中には、ずっと使わないものも出てくることでしょう。

宝の持ち腐れとなるものもあるでしょう。

通話をする、音楽を聴く、カメラに撮る、スケジュールを管理する等の基本となる機能は、明らかに性能がアップしているはずですが、それらも使いこなすことができないかもしれません。

便利になりすぎた反面で、衰えたものや失われたものに対して明確にする必要があるでしょう。

それを補うことが「人が人らしく生きるために」大切なものかもしれません。

もしかすると、それらの一つ一つが中小企業のビジネスチャンス(付加価値を大きくするもの)になるかもしれません。

人が人らしく生きるためには必要不可欠なことは「目的を明確にすること」と「(先入観を捨てて)考えること」です。

大丈夫でいきましょう!

追伸:以下の記事もよろしければ読んでいただければ幸いです。

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