バラエティ番組の「やらせ」とドキュメンタリー

  1. 人と会社・企業

私たちはバラエティー番組にも真実を求めてしまうもの。フィクションの作品や番組にもドキュメンタリー性を求めているのかもしれません。

テレビのバラエティー番組の「やらせ」が問題となることがあります。

それはなぜなのか少し違った視点から考えてみたいと思います。

私たちは「やらせ」という言葉にマイナスのイメージを持っています。

そもそも「やらせ」とはどのような意味でしょうか。

ブリタニカ国際大百科事典によりますと次のように記されています(出典として一部を引用いたします)。

マス・コミュニケーションにおいて,過度な演出・演技などによって虚偽の事実を表現しているにもかかわらず,それを隠し,あたかも事実に即しているかのようにみせること。特にテレビ番組(→放送)では視聴率を重視するあまり,行き過ぎた演出が繰り返されてきた。(後略)

つまり、やらせとは『過度な演出・演技などによって虚偽の事実を隠して事実のようにみせたこと』が問題となるのです。

それゆえ、虚偽の事実を表現しているのならば、隠さずに「これは虚偽です」と断りをいれなければならないでしょう。

では虚偽とはどのような意味でしょうか。

デジタル大辞泉によりますと次のように記されてます。

真実ではないのに、真実のように見せかけること。うそ。いつわり。

受け手側は多くの番組を『虚偽ではないこと』が前提で見ている

私たちは、物事を見る目が『虚偽ではないこと』が前提です。

テレビ番組でも同様です。

それゆえ、バラエティー番組を見た多くの方は、その中にやらせがあれば問題となるのです。

もし、バラエティー番組の内容がすべて『真実ではないのに、真実のように見せかけるもの』だという常識になれば別です。

では、そもそもバラエティー番組とはどのような意味でしょうか。

実用日本語表現辞典によりますと次のように記されています。

テレビ番組のジャンルで、ゲストを招いてクイズや歌謡をはじめとするさまざまな企画を行う、娯楽番組の一種。

バラエティー番組は様々な企画がありますが、『虚偽ではない』ことが常識となっています。

それがさらに重視されるとどうなるでしょうか。

虚偽でない番組として思い浮かぶのはドキュメンタリー(番組)です。

ドキュメンタリーとは、デジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

実際にあった事件などの記録を中心として、虚構を加えずに構成された映画・放送番組や文学作品など。

私たちはバラエティー番組にドキュメンタリー性を強く求めているのかもしれません。

やらせが許されないドキュメンタリー番組でも演出は必ずある

バラエティー番組以上に「やらせ」が許されないのはドキュメンタリー番組です。

ドキュメンタリーとはデジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

実際にあった事件などの記録を中心として、虚構を加えずに構成された映画・放送番組や文学作品など。

当然のことながら、虚構を加えたらドキュメンタリーとは言えません。

しかし、演出についてはその限りではありません。

では、この演出について考えてみましょう。

どの番組でも必要不可欠な「演出」とは

ドキュメンタリー番組というといい意味で重厚な雰囲気がありますが、それは効果的な演出があってこそです。

では、演出とはどのような意味でしょうか。

デジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

1 演劇・映画・テレビなどで、台本をもとに、演技・装置・照明・音響などの表現に統一と調和を与える作業。
2 効果をねらって物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと。「結婚式の演出」「演出された首班交代劇」

ここで次の言葉を見比べて欲しいのです。

〇素晴らしい演出によって、ドキュメンタリー番組がより重厚な作品となりました。

〇素晴らしい演出によって、ドラマがより現実味を帯びた作品になりました。

そこで「あれ?」と疑問に思う部分が出てきます。

演出者の技術によってそれが本当にあったように感じることがとても面白い

ドキュメンタリー番組には効果を深めるための音楽が不可欠ですが、それらは実際にその時代に流れていたものではない場合があります。

しかし、それらの音楽をフィクションと思っている方はいません。

虚構とは思えませんが、厳密に考えると事実ではありません。

「あれ?」と面白いことに気がつくのです。

効果音もあくまで効果を強める演出のためですが、実際に当時そのような音があった訳ではありません。

現実になかった音だとしても「けしからん」という人はいないでしょう。

むしろ重厚さを増すことで引き込まれるのです。

私たちは演出者の技術によって、音楽等が本当にあったかように自然に感じることがとても面白いと思います。

バラエティー番組でも「フィクション」か否かの明示が必要になってしまったのかもしれない

現在のバラエティー番組は、「フィクション」と「ドキュメンタリー性」の境目が視聴者側に委ねられるという点で実は高度なものとなっていると思います。

敢えてそのような楽しみ方を模索することも面白いかもしれませんが、テレビ番組は大きな分岐点に来ていると思います。

結論を言えば、私たちはドキュメンタリー性を求めながらも、フィクションを楽しむ能力があると思っています。

しかし、そのフィクションの部分を番組によっては明記しなければならないのです。

マンガでもドラマでも架空の物語を偽物だと言って怒る人はいないでしょう。

架空の出来事だからけしからんという人はいません。

フィクションであったとしても、人々に感激を与えたり、感性が磨かれたりするものもたくさんあります。

漫才やコント等のお笑い芸人のネタも現実にあったこともあるでしょうけれど、フィクションもまた多いのではないでしょうか。

「フィクションだからけしからん」と怒る人はいないでしょう。

ただし、ドラマ、映画、マンガ等には「この物語はフィクションです」と書かれています。

しかし、お笑い番組では明示されていません。

バラエティー番組はどうあるべきでしょうか?

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