陰徳を積む人とは?世の中にはこういった方々が必ずいます

  1. 人財・人づくり

陰徳を積むことは人として究極の行い

今日は「陰徳を積む」という言葉について考えてみたいと思います。

人に知られることなく良い行いを重ねて行うことは、人の営みの中で究極のものだと思います。

陰徳とは、実用日本語表現辞典によりますと次のように記されています。

人に知られることなく、良い行いを重ねて行うことを意味する語。陰徳とは、人知れず行う功徳を意味する。

利他と似ています。

ちなみに利他とは、次の通りです。

他人の福利を願うこと。自分を犠牲にして,他人に利益を与えること。仏教用語では,人々に功徳,利益を施して救済すること。

利他は他人、陰徳は行い自体のことを示す点で若干異なるようです。

陰徳がとても難しいところは「人に知られることなく」という点です。

利他も常に実践することはとても難しいですが、陰徳を積むことはさらに難しい印象を持ちます。

「陰徳を積む」という言葉は黒沢丈夫さんという名パイロットかつ名村長によって知りました

私が「陰徳を積む」という言葉を知ったのは、黒沢丈夫さんという方からです。

1985年8月12日、日本航空123便の墜落事故が発生しました。

飛行機は群馬県多野郡上野村に墜落し、乗員乗客合わせて520名が亡くなられたという大惨事でした。

心がとても痛くなる事件です。

犠牲になられた方々には謹んで哀悼の意を表します。

この時に、上野村の現場で陣頭指揮を執られたのが黒沢村長という方でした。

この方は、かつての日本海軍戦闘機隊の歴戦の名パイロットであり、零式艦上戦闘機を駆って大空で活躍した名指揮官だったのです。

上野村は、救援の自衛隊や機動隊、報道陣の受け入れのため、現地に消防団員を派遣しました。

この時、黒沢村長が陣頭指揮を執られましたが、実に見事だったということです。

それだけではありません。

常にご遺族に寄り添い、支えとなり、誰からも慕われた存在だったそうです。

黒沢村長は「陰徳を積む」という言葉を大切にされていました。

決して見返りを求めてはいけないとする行動は並大抵のことではないと思います。

こうした先人がいることを誇りに思います。

陰徳を積んでいる方は輝いている

陰徳を積む方で話題になった方がいます。

今年の夏に行方不明となった2歳児を救出した尾畠春夫さんです。

尾畠春夫さんは『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』という言葉を大切にしています。

「人知れず」「見返りを求めない」という姿勢を貫いている尾畠さんも陰徳を積まれていると思います。

ただただ感動します。

陰徳を積んでいる方は光り輝いているのです。

陰徳の反対の言葉は陽徳です

陰徳の反対の言葉は何でしょうか?

それは陽徳といいます。

陽徳とは、デジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

1 万物を生成発展させる宇宙の徳。
2 あらわに人に知られる徳行。⇔陰徳。

この場合は後者です。

「あらわに人に知られる徳行」という言葉をご覧になって、みなさんはどのように感じますか?

難しい判断かもしれません。

もしかすると、ややマイナスなイメージを持たれる方も多いかもしれないと思いました。

中には「けしからん」という人もいるかもしれません。

「それならやらない方がいい」という人もいるかもしれません。

私もその気持ちはわかりますが、敢えて大いに結構だと言いたいです。

例え陽徳であっても、誰かが救われるのであるならば素晴らしいと思うからです。

それよりも、「何もしない」のが問題だと思っています。

みなさんは「陰徳を積む」部下をどのように評価しますか

「陰徳を積む」を反対側から見ると評価を難しくさせます。

私が評価者だとします。

私の部下に陰徳を積んでいる人がいるとします。

まず、私はその行為に気付くことができないでしょう。

また、陰徳を積んでいることが私にわかった時点でそれは陰徳ではなくなってしまうかもしれないと考えると複雑な気持ちになります。

しかも、陰徳を積んでいる部下は「見返りを求めていない」のです。

でも私は余計なおせっかいかもしれないと思いつつも、その部下を褒め称えることでしょう。

その時点で陽徳となってしまうかもしれませんが、気付いていないふりをする方が不自然だと考えます。

敢えて反対のことを申し上げますが、上司は部下の陰徳を見つけられるようにすることが大切だと思います。

それができる上司になれるよう、常に先入観を取って部下と接することで自分を磨き続けることが大切なのです。

陰徳を積む・・・この世の中でいい行いをする目的は?

以下の話は宗教とは一切無関係ですので誤解のないようにお願いします。

この世でいい行いをする目的は何でしょうか?

天国に行くためでしょうか?

陰徳を積むという考えから判断すると、その時点で矛盾を感じずにはいられません。

自分のためのように見えるからです。

しかし、いい行いをする動機が「自分自身のため」でも大いに結構だと思います。

「いい行いはやがて自分に返ってくる」と期待することでいいと思います。

いちばん避けなければならないのは、「自分を変えようと努力しないこと」なのです。

それでは将来は何も変わることはないからです。

結論として、この世でいい行いをする目的は、他人の幸せのためだと思います。

さらに、陰徳を積むならば、何の見返りも求めてはいけないのです。

私は「いい行いをして関わる人たちが幸せになるのならばそれでいい。何も見返りはいらない。」という人は結構いるかもしれないと思っています。

もしかすると、ほとんどの人の心にはこういった気持ちも(程度の差こそあれ)あるのではないかと思います。

そう思うと将来が明るくなってくるのです。

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