義務教育と権利教育・・・働く私たちが幸せになるために

  1. 人と会社・企業

教育とは何でしょうか

私たちは教育の大切さを痛感しています。

人が成長していく上でも、世の中に役立つ仕事をするためにも。

自分を高めるためにも。

しかしある程度の年代になると、教育を受けることを放棄しがちです。

無意識のうちに「嫌なもの」「必要ないもの」と捉えてしまっていることもあるかもしれません。

私はそれは大変勿体ないことだと思っています。

ここが人生をより豊かにしていくか否かの境目のひとつかもしれません。

私が知っている真のリーダー達は、どなたも常に学ばれています。

そもそも教育とは何でしょうか?

デジタル大辞泉によりますと大きく二つの意味があり、次のように記されています。

1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育」
2 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」

教育というと後者の意味がとても強いです。

しかし、大切なのは前者の意味であり、これは私たち働いている人すべてに求められることだと気がつきます。

学校を卒業した後も教育は大切なのです。

「あるべき姿」に向かっていくためには、どんな世代の人も「より良く変わること」が求められるからです。

知識、技能、人間性等の面において、その人がもつの能力を伸ばそうと試みることが教育なのです

その主な場は「会社」となります。

人間性の涵養という表現にも着目しましょう。

涵養とはデジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。

だから本来、ベテラン社員さんはそれだけ尊いはずなのです。

魅力ある人間性が発揮され、すべての社員さんから尊敬されるべきなのです。

教育も義務というより権利であるべき

実は、私たち国民には3つの大きな義務があります(3大義務)。

それらは一体なんでしょうか?

私は企業支援の現場で社員さんにうかがいます。

すると、スムーズに答えられる人はそれほど多くありません。

それだけ思い出す機会がないものなのです。

その3つの義務とは次の通りです。

「教育の義務(26条2項)」「勤労の義務(27条1項)」「納税の義務(30条)」の3つです。

これらは日本国憲法に定められております。

しかし、この「義務」という言葉は多くの方がマイナスの感情を抱くのではないでしょうか。

義務的なものに対する「やらされ感」があります。

勤労の義務と権利については以前も述べました。

そして憲法に記された『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。』という表現の深さに納得しています。

勤労は義務というよりも権利であるべきだと考えます。

そして、教育もそうあるべきだと思うのです。

教育における義務と権利の境目は?

私たちは子供の頃から何も考えずに義務教育を受けてきました。

高校から私たちは義務教育ではなくなりました。

義務教育が終わったら、自主的に学ばなければなりません。

これを義務教育の反対の言葉として、権利教育と呼びたいと思います。

高校時代から私たちは権利教育なのです。

その権利は生きている間ずっと続くものだと思っています。

自分の人生を充実させるための権利を行使することに繋がっています。

なお、権利とはデジタル大辞泉によりますと次のように記されています。

1 ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力。「邪魔する権利は誰にもない」「当然の権利」「権利を主張する」⇔義務。
2 一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力。私権と公権とに分かれる。「店の権利を譲る」⇔義務。→ライツ(rights)
3 権勢と利益。

権利教育とは、自分の意思で自由に教育を受けることです。

私たちはいい人生を送るために、自分の意思で自由に教育を受ける権利を有しています。

つまり、自主的にこの権利を行使することが大切です。

人を大切にする会社の社員さんは、このことが徹底されています。

自主性を持って、知識、技能、人間性等の面において「あるべき姿」を目指していくことが権利なのです。

人からではなく自分自身に課せられた使命なのです。

反対に、「やらされ感」「指示待ち」の状態では、なかなかこれらは身につかないのです。

いい仕事をして、いい人生にしていくためには、教育が不可欠ですが、自主的に実施することがポイントなのです。

いい仕事とは、人に喜ばれる仕事です。

自ら進んで人が喜ぶことを考え、提供する事が仕事なのです。

教育はそのために必要なものなのです。

それは、大人になっても続くのです。

どんな仕事もある程度のスキルを身につけるためには、必修となる技術があることでしょう。

それを身につけることが義務になると堅苦しく感じてしまいます。

大切なのはこれらが義務ではなく「権利」であるということです。

社員さんは自主的にそれらに取り組み、結果的に教育がなされていた状態が理想です。

自分自身の能力・魅力を最大限に発揮しようとすることは「義務」ではなく「権利」

自分自身の人生を充実させることは私たちの当然の権利です。

人生の大半は働く期間です。

それゆえ、働くことは人生を充実させるための時間であるべきです。

そして、それは義務ではなくて、権利であるべきです。

それに伴う教育も義務ではなくて、権利であるべきです。

権利を行使して、自分の人生はもちろん、関わる人の幸せを実現していくことが人としてのあるべき姿ではないかと思います。

しかし、時としてこれらが「義務」のように求められてしまうことがあります。

自分自身の能力・魅力を最大限に発揮しようとしないことは勿体ないことなのです。

注意すべきは、会社から強制的にそれをすすめても、人は自主性を持たない限り能力をそれ以上伸ばすことは困難であるということです。

義務と言われて、プラスの気持ちになる人はどれだけいるでしょうか?

義務といわれれば、最低限の範囲で済ませようとしてしまうものなのです。

会社から「義務を果たせ」と強制的に進めると、今の時代はパワハラになってしまうのです。

繰り返しますが、自分の能力・魅力を最大限に発揮することは「義務」ではなく「権利」であるべきです。

すべての働く人が自主的に進めることが大前提です。

そのために教育があり、教育を受ける権利があるのです。

知識、技能、人間性等の面において、その人がもつの能力を伸ばそうと試みることは権利なのです。

働く全ての人がこの権利を行使して幸せになっていくことを望みます。

一生学びなのです。

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