アイルトン・セナ選手がイモラサーキットで帰らぬ人となってから25年

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イモラの事故から25年が経った

1994年5月1日、F1パイロットのアイルトン・セナ選手がイモラサーキットで帰らぬ人となりました。

あれから25年が経ちました。

改めてセナ選手に哀悼の意を表します。

アイルトン・セナ選手は圧倒的な速さと人気を誇っておりました。

我が国ではそのルックスと相まって『音速の貴公子』と呼ばれていました。

特に予選のタイムアタックでは、最後の最後に最速タイムをたたき出すことがよくありました。

マクラーレンとホンダの組み合わせは最強と呼ばれる布陣だったと思います。

セナ選手がマクラーレンからウイリアムズに移籍して悲劇は起きました。

大変な衝撃を受けました。

深夜のテレビ中継の映像が昨日のことのように思い出されます。

今日は当時のF1を少し振り返ってみたいと思います。

セナ選手に「速さ」で対抗できた男

当時のF1界において、セナ選手に「速さ」で対抗できる選手は極めて少なかったと思います。

その可能性を持っているドライバーのひとりがナイジェル・マンセル選手でした。

ただし、それは気分が乗った時です。

マンセル選手は調子に乗ったら手が付けられないほどの速さを見せたドライバーです。

特に母国イギリスでのレースに圧倒的な強さを発揮しました(母国ブラジルでの優勝にあまり恵まれていなかったセナ選手と対照的)。

反面、よく信じられないようなミスもしでかしました。

思い出に残っているレースを列挙します。

〇1986年オーストラリアグランプリ
ドライバーズタイトルで優位に立ちながらタイヤがバーストしてしまった。

〇1987年イギリスグランプリ
激しくドライバーズタイトルを争うチームメイトのピケ選手をハンガーストレートでフェイントをかけてテイクオーバー。

〇1987年日本グランプリ
タイトル争い終盤。予選中に鈴鹿のS字でクラッシュして背中を痛めタイトルを逃す。

〇1989年ブラジルグランプリ
NA元年、フェラーリに移籍した最初のレースで優勝。セナ選手はまたしても母国での優勝を逃す。

〇1989年ハンガリーグランプリ
予選12位からの追い上げで見事優勝。得意の右コーナーで周回遅れに引っかかったセナ選手をオーバーテイク。

〇1989年ポルトガルグランプリ
ピットレーンで行き過ぎてしまい、リバースギアに入れて失格。しかし、その後失格を知らせる黒旗を無視し、セナ選手に追突。

〇1990年サンマリノグランプリ
ゲルハルト・ベルガー選手の幅寄せでコースアウトしスピンするも、360度のターンで見事コースに復帰。

〇1990年メキシコグランプリ
マクラーレンのゲルハルト・ベルガー選手の強引な追い越しに怒り?、ファイナルラップ直前、アウトからベルガー選手をオーバーテイク。

〇1991年カナダグランプリ
トップを独走していながら、エンジンスイッチを誤って押してしまい(本人は否定)リタイヤ。

〇1991年イギリスグランプリ
圧倒的な速さで優勝。ウイニングランの時にリタイヤしたセナ選手を乗せてピットに戻る。

〇1991年ポルトガルグランプリ
ピットインしてタイヤ交換したがピットレーンでタイヤが取れてしまった。

〇1991年スペイングランプリ
長いストレートでスリップストリームからセナ選手をテイクオーバー。タイヤが触れんばかりのサイドバイサイドの激闘。

〇1992年モナコグランプリ
セナ選手との激闘。

マンセル選手はプロスト選手のような政治的な駆け引きが得意ではありませんでした。

ただ気持ちで走るファイターでした。

そういった人間味あふれる走りがまた面白かったのです。

セナ選手とマンセル選手のバトルは視聴者を魅了しました。

1992年モナコグランプリでの激闘

アイルトン・セナ選手は予選1位からそのまま優勝するという、ポールトゥウィンが似合うドライバーでした。

ナイジェル・マンセル選手はどちらかというと、レース中最も速いタイムで周回するファーステストラップが似合うドライバーでした。

マンセル選手は1992年にドライバーズチャンピオンを獲得しました(前年もあと一歩の所までセナ選手を追い詰めましたが)。

熟成を重ねたマシン「FW14B」は開幕から圧倒的な速さを誇りました。

しかし、ポールトゥウィンが続くマンセル選手のレースに「らしくない」と思ってしまったこともありました(人間は勝手です)。

そのような中で、あのモナコグランプリでの激闘があったのです。

その年のベストレースと言っていいでしょう。

レース終盤、残り8周となったところでトップを独走していたマンセル選手がタイヤトラブルを察知してピットインします。

その間にセナ選手がトップに躍り出ます。

マンセル選手がファーステストラップをたたき出しながらセナ選手を猛追し、みるみるうちに背後に迫ります。

しかし、抜けません。

マンセル選手の「レッド5」が右に左にマシンを揺すり抜かそうとしますがセナ選手は動揺しません。

そのままゴールとなりました。

F1グランプリの50回記念にふさわしいレースでした。

不思議なライバル関係

セナ選手とマンセル選手はとても不思議なライバル関係に見えました。

チームメイトになったことがなかったことも功を奏したかもしれません。

殴り合いのケンカをすることもありました。

そうかと思えば、セナ選手がリタイアした時、ウイニングランをしているマンセル選手の車にセナ選手が乗ったこともあります(1991年のイギリスグランプリ)。

ふたりの関係はジメジメしたものではなくカラッとした関係であったように見えます。

レースでのバトルは手に汗握りました。

あれからもう四半世紀が過ぎようとしていることに自分自身驚いております。

F1は令和の時代でも楽しめるものを願う

世界を舞台にするF1グランプリは元号は関係ありませんが、昭和から平成に元号が変わった1989年はF1の世界でも大きな変化がありました。

それまでのターボエンジンからNA(自然吸気)エンジンに変わったのです。

平成元年は自然吸気エンジン元年でした。

初戦ブラジルグランプリでナイジェル・マンセル選手が優勝したのです。

この時のことも昨日のことのように覚えています。

元号は平成から令和へ。

これからのF1にも大いに期待したいです。

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