ランキング

  1. 1

  2. 2

  3. 3

  4. 4

  5. 5

  6. 6

  7. 7

  8. 8

  9. 9

  10. 10

考える野球を追求した野村克也監督・・・選手としても監督としても偉大でした

  1. スポーツ

本塁打王9回、打点王7回、MVP5回

とても残念なニュースが入ってきました。

プロ野球で選手としても監督としても偉大な成績を残した野村克也監督が亡くなられました。

心より哀悼の意を表します。

以下、日本経済新聞の記事を引用いたします。

プロ野球で戦後初の三冠王を獲得するなど歴代2位の657本塁打を放ち、監督としてもヤクルトを3度の日本一に導いた野村克也(のむら・かつや)さんが死去したことが11日、分かった。84歳だった。

京都・峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)に入団。頭脳的なリードと強打の名捕手として活躍し、本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手(MVP)5回など数々のタイトルを獲得し、ベストナインに19回選ばれた。65年には戦後初の3冠王に輝き、70年からは監督兼任となって73年にリーグ優勝。ロッテ、西武に移籍し、80年に45歳で現役を引退した。

通算3017試合に出場、2901安打、657本塁打、1988打点はいずれも歴代2位。89年に野球殿堂入りした。

90年にヤクルトの監督に就任。データを駆使した「ID野球」を掲げ、9年間でリーグ優勝4回、日本一を3回達成した。ピークを過ぎた選手を再び活躍させ、「野村再生工場」と評された。

99年から3年間は阪神監督。社会人野球シダックス監督を経て2006年に楽天監督に就き、09年には球団初のAクラス入りを果たした。監督通算成績は1565勝1563敗76分け。勝利数は歴代5位、敗戦は最多。

05年6月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した(日本経済新聞 2020年2月11日)。

名選手名監督にならずの数少ない例外の人

野村監督は選手としても偉大であり、戦後初の三冠王を筆頭に傑出した成績を残しました。

その一方で名監督としても名を馳せました。

「名選手名監督にならず」が当てはまらない数少ない人でした。

そのポイントは「常に考える野球」にあったと思っています。

野村ID野球は「Important data」の略です。

データばかりがクローズアップされているようなイメージが強いですがそれだけではありません。

敵味方問わず、選手の心理を読み取る野球だと思っています。

その上でデータが生きてくるのです。

これは相手チームのことだけではありません。

自分のチームの選手達の心を考えることを徹底されていたからだと思います。

選手の目線で考えることを撤していたからだと思います。

それは試合だけでなく練習態度や日頃の生活からも重視されています。

選手のモチベーションを尊重し、燃える場面で使うことで見事に結果を出したケースも数多いです。

それが「野村再生工場」とうたわれる秘訣だと思います。

こうした部分はリーダーの方々も大いに参考になると思います。

ビジネスの世界でも「仕事ができる人が必ずしもいい上司になるとは限らない」というケースが多々あります。

その要因は、リーダーが仕事ができる人の目線で部下を見てしまうからです。

「なんでこんなことができないの?」と上司が思ったら部下は育ちません。

部下の目線に立ち、部下の立場になって物事を考えることがとても重要なのです。

目先の勝ち負けに一喜一憂せず本質を見抜くことが大切

野村監督の考え方は野球という範疇を超えて、経営学でいう組織論そのものでした。

いい会社に通じるものも数多く、日頃の経営支援やリーダー研修等でも参考になることばかりでした。

語録もたくさん残されています。

中でも『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という言葉が印象的でした。

監督として1565勝1563敗・・・勝利の数もすごいですが、同じくらい敗戦の数があります。

その数は歴代最多だそうです。

私はこの敗戦の数にこそ野村監督の成功の秘訣があるのだと痛感しております。

名将としての凄み、誇りがそこにあるのです。

目先の勝ち負けに一喜一憂せず、本質を見抜くことが大切なのです。

これは経営にも政治にもそのままあてはまることだと思います。

いい会社を、いい国をつくっていくために。

大丈夫でいきましょう!

弊社の講演会・セミナーの特徴は
お客様の高い満足度です。
企業支援の事例や現場のノウハウが
フィードバックされるためです。

詳しくご覧ください