太平洋戦争を零戦や紫電改で闘い抜いた笠井智一さんがお亡くなりになりました

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名パイロットとして名高い杉田庄一少尉の列機として活躍

太平洋戦争を零戦や紫電改で闘い抜いた笠井智一さんがお亡くなりになりました。

笠井さんは名パイロットとして名高い杉田庄一少尉の列機として活躍されました。

またひとり、太平洋戦争の激戦を知る勇者が旅立たれました。

心より哀悼の意を表します。

以下、読売新聞オンラインの記事を引用いたします。

太平洋戦争で戦闘機「零戦」や「紫電改」に搭乗したパイロット、兵庫県伊丹市の笠井智一(かさい・ともかず)さんが9日、心不全で亡くなった。94歳だった。告別式は13日に近親者で営む。

 兵庫県丹波篠山市生まれ。16歳で旧海軍に入隊し、サイパン、ヤップ島などの南方戦線を転戦し、フィリピンでは特攻機援護の任務に就いた。戦争末期は愛媛県・松山基地の航空部隊で紫電改に搭乗。戦後、予科練習生同期の7割が戦死した激しい戦闘の様子を、著書や各地の講演会で伝えていた(読売新聞オンライン 2021年1月11日)。

『最後の紫電改パイロット』

笠井さんは『最後の紫電改パイロット』という著書を出版されています。

著書には笠井さんたちは何を思い、いかにして闘ったのかが描かれています。

特に、笠井さんの小隊長であり敬愛する杉田上飛曹とのエピソードは胸を打ちます。

笠井さんが343空で活躍された頃の日本は、米軍に押れに押されて本土が主戦場となっていました。

紫電改は本土に来週する敵機を邀撃することが主任務です。

そして運命の日、昭和20年4月15日が訪れます。

警報が遅れ、紫電改が邀撃しようとしたときには、敵機のグラマンF6Fヘルキャットが目前に迫っていました。

それでも構わず離陸体制に入る杉田機・・・。

グラマンが覆い被さってきます。

・・・「ニッコリ笑へば必ず墜す」

涙無しで読むことができません。

戦争は絶対にしてはいけないと思うのは、体験者が教えてくれたから

笠井さんは他の方の本や雑誌、インタビュー等で著名でしたが、ご自身の著書を出版されたのは2016年だったと記憶しています。

出版されたことを知った私はすぐに本屋に行きました。

おそらく、笠井さんより後に本を出版される紫電改パイロットはいないと思われます。

まさに最後の紫電改パイロットです。

同時に、戦争を語ることができる人がいなくなってしまうことに大変な危機感を覚えます。

日本という国が平和に繁栄していくために、戦争の悲惨さと闘った人々の気高さを知ることは重要だと考えるからです。

私が戦争は絶対にしてはいけないと思うのは、体験された方々がその悲惨さを著書を通じて教えてくれたからです。

ぜひ笠井さんの著書を読んでいただきたいと思います。

また、動画サイトでも笠井さんのお話が数多く掲載されていますので、どうかご覧いただきたいと思います。

コロナ禍だからこそ

これまでも幾度かお話ししていますが、私は太平洋戦争で闘い抜いた戦士の戦記が好きで小学生の頃から読んでいました。

特に戦闘機乗りの戦記が大好きで、何十冊と所蔵しています。

自分の心が乱れた時や思い悩んだときに戦記を読むと、様々なヒントをもらえます。

そして、力説したいことは、私たちの先輩達はとても強かったということです。

日本人として誇りに思います。

どんなに劣勢になっても諦めず、粘って粘って粘り抜くことが大事だと教えてくれます。

それはこのコロナ禍の世の中においても、最も大切なことだと思います。

大丈夫でいきましょう!

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